サマリアと地の果てまで福音を伝えるのが預言者の使命で、その使命を成すために預言者の道に立ちました。外国語一つうまく話せずとても不足な点が多くて本当に海外福音が現実に成されるとは思いもよりませんでしたが、常にこんな心はありました。神様が「行きなさい」といわれたらそこがどこでもためらわないで「アーメン」といって行く、神様が喜んで使うことができる福音の道具になるとです。そして2010年3月、御母様に呼ばれて「アーメン」といって来た所がモンゴルの首都ウランバートルでした。
第2ウランバートル教会建設が進められるうちに第1ウランバートル教会で言語と文化に適応する時間を持ちました。宣教熱情があふれるウランバートル教会家族たちを見て福音の精神を新しく整えることができ、12月に本格的な第2ウランバートル教会福音が始まりました。目標はただ一つ、韓国を出発する時、御母様が最後に賜った御言葉でした。
「嬉しい便りを伝えてください。」
御母様の喜びは失った子どもを捜すことの外にはありません。必ず多くの魂を捜して六千年の間、子どものために犠牲なさった御母様に嬉しい便りを伝えて上げたかったです。
ⓒ 2011 WATV
「彼らはあなたたちのすべての兄弟を主への献げ物として、馬、車、駕籠、らば、らくだに載せ、あらゆる国民の間からわたしの聖なる山エルサレムに連れて来る、と主は言われる。それは、イスラエルの子らが献げ物を清い器に入れて、主の神殿にもたらすのと同じである、と主は言われる。」(イザ66:20)
第2ウランバートル教会は200余名の家族たちで出発しました。ところで実際御言葉を教えることができる働き手は三、四人しかいませんでした。
現在教会が位置づいた地域から第1ウランバートル教会までは二時間以上かかります。家族たちが第1ウランバートル教会に所属している間は時間の問題で礼拝が終わったらまっすぐに家に行かなければならなかったから、御言葉をまともに察する余裕がなかったのです。シオンの文化や雰囲気も慣れなかったからか、あいさつや感謝するという話が上手ではないという好戦的なモンゴル人の特性が多分に感じられました。
御母様は神様の御心をよく教えてくれればよく実践する家族たちだとおっしゃいました。本当「よく」知らせなければならなかったです。しかし働き手が法外に足りないから休まずに、時には食事も忘れて一日中訪問に通っても家族たちをすべて振り返ることができなかったです。このような状況をよく知らない家族たちが、分家した後からよく尋ねて来ないと名残惜しがる時、気が重かったです。
一番心の錯雑な人は誰より熱心に東奔西走した三、四人の働き手たちでした。
ところで、その働き手たちはむしろ悔い改めて「もっと熱心にしなければならないのにそうできなくて申し訳ありません」と家族一人、一人ごとに容赦を求めるのでした。
私も家族たちを天国に十分に入城することができる信仰で導くためには忍耐としてもっと熱心に働かなければならなかったです。いつも先に近付いて頭を下げてあいさつをして、2011年に入って2ヶ月の間は神様の真理を教育することだけに力を注ぎました。
問題は私のモンゴル語実力でした。まともに意味を伝達することができなかったり初めから過って伝達したりしました。温かい慰労をしてあげたくても口から出る言葉は単純で直説的な言葉だけだから家族たちに痛みを与えたりしました。御母様の愛を伝えたかったが私の言葉は愛ではない傷になっていました。
人知れず涙を流す日が多かったのですが、ある日説教時間に壇上に立って涙ぐんでしまいました。言葉も引き継ぐ事ができずずっと涙だけ流しました。天上の言語を忘れてしまった子どもたちに表現することができない愛を中におさめなければならない御母様の心情がどうだったろうか、そのもどかしさが胸にしみました。
「御母様が皆さんをあまりにも愛されるのに伝えることができなくて、私が…言えなくて申し訳ありません。」
この言葉しかできなくて壇上から下りました。ところで家族たちが一緒に涙を流すんです。その時の心情をどう表現したらよいでしょうか。
その後、家族たちの心が徐々に開かれることを感じました。御言葉を通じて少しずつ天の知識を分かって行った中、韓国から映像物一篇が飛んで来ました。御母様の犠牲と愛を盛ったこの映像物は一瞬にしてすべてのものを置き変えました。
「御母様が私たちのために私するように犠牲していらっしゃるのに私たちは一日一日を何と送ったのか?」
「御母様」といってもきょとんとしてした家族たちが、御母様の愛を目で確認し、心で悟るやいなや火のように起きました。きれいな信仰の器を準備した家族たちが、純然な心でエロヒム神様を慕う魂を捜して天のエルサレムに礼物としてささげることに決心したのです。
御母様に向けられた感謝と純粋な感動だけで熱く開かれた宣教大会の手始めでした。
「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」(ヘブ13:8)
3月中旬から4週間実施した第2ウランバートル教会宣教大会の題目は「昨日も今日も永遠になるように等しい」という聖書の御言葉でした。御母様は私たちのために昨日も祈り、今日も祈り、永遠に祈ります。だから私たちも昨日熱心にしている途中今日くたびれてしまうことはできませんでした。一日も欠かさないで御母様が喜ぶ実を結ぼうと念をおしました。
家族たちの情熱はすごかったです。1月と2月、熱心に学んでおいた御言葉でこの時代救い主として来られた聖霊と花嫁を大胆に証拠しました。一人の家族は人と対するのが不慣れで宣教は絶対しないという方でしたが、御母様の愛を悟った後では実を結ばなくては家に帰ることができないと夜遅くまで福音を伝えるのを休みませんでした、神様の愛を悟るということがまさにこのようなことだなと思いました。
純然な魂を捜すためにこの時代の救い主として来られた聖霊と花嫁を認め、命の水を切に望む人にだけ新しい命の祝福を分けました。それなのに本当に一日も欠かすことなしに実の祝福が与えられました。追って来てまで浸礼を受けたいというため業務をまともにできないこともあり、少しもシオンを留守にすることができませんでした。多くの魂がいっぺんに押し寄せて誰が誰なのか分からないほどでした。
ある日は集まりに出席したのですが他のシオンに来たのかと思いました。初めてみる顔が座っているのです。二、三日前に導かれた方々が自分たちも福音を伝えると来たのでした。果してこの方たちが御言葉を伝えることができるのかと思う心配も少しの間、人々にためらわずに天の御母様を知らせました。このようにして4週の間導かれた実が300人を越えます。
宣教祭りが終わって直ちに第2ウランバートル教会の初の過越祭が近付きました。教会を広い場所で承諾してくださったにもかかわらず過越祭を守ろうとする魂の数を推し量って見たらすべて入って来ることができない位に多かったです。御母様の恩恵で今度過越祭は大きい空間で第1ウランバートル教会と連合礼拝をささげました。モンゴルでの始めて過越祭を、第2ウランバートル教会家族たち450余名と幾多の天の家族と一緒にささげることができて感謝しました。
ウランバートルの中心は平地で都会化されましたが周辺の山の方に上がればゲル(モンゴル人の移動式天幕家)村が形成されています。ゲルに暮す家族たちもかなりなるのですが道がとても険しいのです。車は今にも壊れそうで、雨が一回ずつ降ると穴に抜けるのがおちです。家族たちがシオンに一度来ようとすればその険しい道をかなり歩いて下がって来てバスに乗らなければなりません。
夕方に家に帰る時は街灯もなくて漆黒のような闇をかきわけて行きます。それでもシオンに集まって天の家族を捜そうとする熱情をとても言葉で表現できません。
初めて家族たちの心は何一つ刻むことが難しい石のようでした。しかし一度刻まれたことは心と真心、命を尽くして行います。家族たちの心に刻まれているのはまさに「御母様」です。
私が福音を伝えなければ御母様はどれだけ苦しいかという心で劣悪な状況でも休みなしに御言葉を伝え、昨日も今日もそして明日も等しい道を歩いて行きます。
「天をも地をも私は満たしているではないか」(エレ23:24)
モンゴルは仏教と巫俗信仰が強く、「宗教法」というのがあって教会が建てられるまでの手続きが難しいです。全般的にキリスト教に好感や親近感が少なく神様を信じると言えば人々が良く見ない方です。しかし、本当に真理の前で人々は完全に変わります。
聖書の御言葉を伝えると振りはなすように通り過ぎる方がいました。その時、一人の家族が母なる神様が来られたことを知っていますかと叫ぶと急に後を見かえりました。「それはどういう話か、そんな話は初めて聞く」と御言葉を察してすぐ御母様の子どもに生まれかわりました。
本当に驚くべきことは大部分聖書に対してよく知らないのに一度御言葉を見始めれば真理を分別して悟るというのです。宣教という概念もよく分からないが、一応知っている真理は家族たちに伝えて忽ちシオンが混みます。昨日は一人がシオンに尋ねて来てこちらに神様が一緒になさることを感じると聖書を調べて家族皆を導いたりしました。
私は大変不足でできることがないけれども人間の説明では終えることができない御母様の御業が毎日開かれます。ここから300キロメートル離れたドンドゴビラという地域にも支教会があっという間に立てられました。働き手が足りなく新しい地域で福音を開拓して行きたくても余力がなかったが、予想できない所で御母様は御自分の権能を現わされました。宣教祭りの時に真理を迎接して故郷に着た新しい家族が周り人々を真理で導いたのです。
この話を聞いて家族何人が四日日程でドンドゴビラに短期宣教に出発しました。延々十二時間乗って行くバスの中で家族たちは乗客たちに御言葉を伝え、ドンドゴビラでは妨害者たちを一気に御言葉で退けて貴い魂たちを神様のところに導きました。
家族たちが行って来た翌日、ドンドゴビラから連絡が来ました。聖書をもっと教えてくれないかという嬉しい督促電話でした。私たちはすぐ勉強を始めました。電話でです。受話器をスピーカーホンにして二十人の家族たちが集まって耳をぴくぴくさせている姿を思えば心が自然に嬉しくなります。
ⓒ 2011 WATV
この間第2ウランバートル教会で初韓国訪問まで成されました。2千年前、エルサレムに泊まって十日間聖霊を切に求めた使徒たちの信仰が聖霊を受けた後確実に変わったように、訪問団家族たちは御母様のそばに泊まった十日の時間の間、御母様の聖霊を一杯に受けて帰って来て180度変わりました。怖くて発表も下手だった家族がペトロとパウロのように大胆に御言葉を伝えられ、躊躇しながらあいさつした家族が誰にでも丁寧にあいさつします。
まるで化学作用が起きたようです。頭でだけ知っていた知識に御母様の愛が触れる瞬間起きた驚くべき変化と言いましょうか。一番適切な時に必要な糧を下さり直接導いて絶対的に私たちを助けてくださる御母様は本当に天地に充満しておられます。
「イスラエルの人々に告げなさい。第七の月の十五日から主のために七日間の仮庵祭が始まる。」(レビ23:34)
今、家族たちの話題は「御母様の愛」です。単純に御母様が私たちを愛するという内容ではありません。「御母様が私たちのために犠牲になられながらも大変だと言わず愛を施されるのに、私たちが小さな事も堪えることができずに大変だということができるのか。私たちも御母様のように忍耐の愛を行おう」と話します。その深い考えに恩恵をたくさん受けます。
この心はそっくりそのまま行動で移されて家族たちは夜遅くまで食事時間も忘れたまま福音を伝えます。このごろは私が食事の毎に呼んで、宣教を終えるように言うのが忙しい位です。初め働き手が不足で手に負えなかった時が思い出されます。短時間で良い働き手たちを立ててくださり福音が安定したようだったが、働き手たちがこんなに熱心に福音を伝えたら家族たちが倍に増えたので再び働き手を切に求めています。
今度五旬節の祭りが終われば韓国から短期宣教団が来ます。短期宣教期間に潮がさすように押し寄せる魂たちを迎えるために祈祷週間の間、御母様の愛をよく伝えることができる御言葉の能力と家族たちによく仕えることができる御母様の心を賜ることを一つの心で求めようと思います。熱い聖霊の能力でふんだんな実を結ぶことを祈ります。
第2ウランバートル教会の最大の夢は御母様の愛に報いることです。レビ記には神様が民たちのために制定された3次の7つの祭りが出ます。ところで、最後の七番目仮庵祭の記録を見れば「主のために」という御言葉があります。
この時代は預言的に仮庵祭の時代です。神様に受けてばかりいるのではなく今は「神様のために」働く時代ではないかと思います。御母様に愛されたから御母様を愛する条件付き愛ではない真実の感謝として御母様を愛し、御母様の喜びのために何ができるかと思う心で御母様に報いたいです。私たちはその方法をとてもよく知っています。天の家族を捜すことだけですね。
モンゴルの行政区域は21のアイマグと315のソムに分けられます。御母様が本当に喜ばれる実を捜してウランバートルだけではなく各アイマグとモンゴル全域に早くシオンが建設されるように、どんな苦難が来たとしても熱心に福音を伝えます。ただ御母様のために。
本当に不思議なのが海外へ来たら御母様がすぐそばにいらっしゃるような気持ちです。ウランバートルで二十時間かかるフブスゴルという地域にバスに乗って行った事があります。首あてこともない座席は窮屈だったし、零下 20~30度まで下がった天気にヒーターが出なくて手足はすべて凍って白い息が出ました。バスは山を越え川を越えという言葉どおり、かちかちに凍った川を渡り、道路もない山を越えました。そのような二十時間でした。御母様のことがとても思い出されました。
「この川を渡れば娘がいるというのに、この山を越えれば息子が待っているというのに…。御母様はどのようにしてでも行かれるだろう。」
韓国で長年の福音生活をしながらも知識的だけで分かって頭の中でばかりこだました御母様の心が、 手足がすべて凍って報告、 住んだ過ぎて川渡って見てから少しでも感じられます。
海外福音。本当に苦難は多いが御母様をもっと身近に仕えることができる大きい幸せがあります。もちろん福音のための良い苦難は韓国や海外や等しいでしょう。御母様を慕う心一つで苦労している全世界シオン家族たちのために、そして今も私たちだけのために犠牲になっておられる御母様のためにうちの第2ウランバートル教会家族たちはいつも祈っています。最後に、愛する天の家族皆が御母様が賜る春の雨の聖霊の祝福をあふれるように受けてほしいというあいさつを残します。