天の母という愛の名で
- País | アメリカ
- Fecha | Febrero
05, 2009
赤の美しいゴールデンゲートブリッジ(Golden Gate Bridge)は、今日も太平洋の上の立ちこめるような霧をくぐってサンフランシスコの入り口を開きます。カリフォルニアの西方に位置したサンフランシスコは150年前、金鉱脈が発見されてから目の見張るような発展を成した大都市です。サンフランシスコの象徴であるゴールデンゲートブリッジの名前が「金の門」であるのも、このような歴史から由来しています。
ところで、こちらにまた一つのゴールデンゲートブリッジがあります。 都市を覆い尽くす霊的な闇を貫き、エロヒム神様の栄光の光を発して天国に向かう入口を大きく開いて行くサンフランシスコ神様の教会です。 天の父、天の母の愛が溢れるサンフランシスコ教会で大切な家族たちと共に恵み深い歴史を 成せるようにして下さることに感謝いたします。
「できる」という精神で成す福音
1年6ヶ月前、固い覚悟で始めてサンフランシスコの地を踏んだ時、小さな礼拝所として始まったサンフランシスコ教会も、ちょうど敷地を広げて本格的な福音の足を踏み出しました。しかし家族は少ない上に、信仰が幼い新しい家族たちが大部分を占めていた福音の進行が初めから平坦だったわけではありません。
全世界からエルサレム宣教祝祭が盛んに行われているときでした。サンフランシスコ・シオンも祝祭の喜びに与りたかったのですが、家族たちは首を傾げました。こちらの人たちは、そうでなくてもプライドが高くて安息日や過越祭の真理もよく聞かないのに、果して天の母の真理に関心を持てるだろうかということでした。その間、宣教経験を通して家族たちの心の中に「だめだ」という思いが心の中を占めていました。
あまりにももどかしくて家族たちが共に目覚めてエルサレムの栄光を輝かせられるよう神様に知恵を求めました。そうする中、家族たちの御言葉の能力がまだ少し足りないことが分かるようになりました。その時から新しい契約の動き手として必ず身につけるべきものが御言葉の能力であることを知らせて、御言葉の武具を重ねて着るように勧めました。そして天の母が常に先立って私たちに手本を見せられるように、私たちも先に手本になろうと努力しました。たとえ言葉が流暢でなく、アメリカの文化にも不慣れだとしても、神様が一緒にいて下さるという信仰で大胆に進みエルサレム母を伝えたのです。
すると、神様はサンフランシスコシオンに今までなかった驚くべき歴史を成してくださいました。 それほどまで頑固に真理を断った魂たちが、足を止めて天の母の便りに耳を傾け、天の母 の子どもになるためにシオンに群がって来たのです。エルサレムの栄光を宣布する度に新しい生命が誕生しました。なので家族たちがびっくりしました。
このときから家族たちが目覚めました。いつの間にか持っていた 「だめだ」という考えを打ち破って、その場 に 「できる」という信仰を刻み始めたのです。 家族たちは皆立ち上がりエルサレム宣教祝祭に参加しました。そして、その間感じることができなかった結実の喜びを思い切り享受しました。また御言葉の能力を積み重ねる中に、豊かな実を結んで学んだ御言葉を直接教えるなど、多くの祝福を受けて心強い福音の動き手として育ちました。
今は誰も 「できない」, 「だめだ」とは言いません。神様が現地の家族たちが自ら悟り、自ら勉強し、自ら伝えられるように心を動かしてくださったのです。「座れば御言葉の勉強、立ち上がれば宣教」をする家族たちは、ただ一人の魂を救って神様を喜ばせたいという心で、いつでもどこでも自信を持って大胆に天の母を伝えています。
天の母の愛は[百聞は一見にしかず]
サンフランシスコ教会には多くの国から来た各人各様の家族たちが集まっています。なので、初めは一つの心になるのが大変でした。その上に自由奔放で個人主義が強い西欧文化に慣れているので、敬虔さや人のために祈って気配りするシオンの文化を受け入れるのに苦労しました。
こういう時、一つになる良い方法がありました。それが、まさに宣教です。魂を救うことにおいては、皆が一つの心で同じ言葉を出さなければならないからです。また実を結ぶために努力して自然に恵み深い姿に変化するようになり、家族たちと一緒に苦難を分けながら、互いのために祈ってあげるようになりました。このように宣教に力を注ぎながら家族たちは徐々に一つになり始めました。
このような変化に決定的なきっかけになったことがあります。ことわざの中に「百聞は一見にしかず」(百回聞くよりも一度見たほうが良い)ということわざがあります。こちらにも同じ意味で 「Seeing is Believing(見ることが信じることだ)」ということわざがあります。サンフランシスコの家族たち、いや、全世界すべてのシオンの家族たちが必ず直接お目にかかり、心で感じたい存在である天の母、その天の母の愛こそ「百聞は一見にしかず」です。
預言に従って家族たちは天のエルサレムの懐に飛んできました。そして天の母の愛を直接目の当たりにして帰ってきて皆涙を流しながら口をそろえてこう言いました。
「聖書の知識だけで知っていた天の母を今になって悟りました。どれだけ私を愛しておられるのか、私のためにどれだけ犠牲の道を歩まれているのかを見ました。天の母が私にそのようにしてくださったのだから私も当然、その通りにするべきでしょう。天の母の御恵みに恩返しする方法は、その愛を伝えることだけです。」
韓国を訪問した後、霊肉共に天の母に似た愛の姿に変わった家族たちの姿は良い手本となっています。その家族たちが天の母 が直接見せてくださった愛と犠牲を実践して、家族たちに先に近づいて自分を低くして譲歩して仕えるのでシオンの雰囲気があっという間に変わりました。
一方、話をすることも、食事も一緒にできないほど恥ずかしがりやのある兄弟は、韓国を訪問して帰ってくるなり失った兄弟姉妹を捜さなくちゃと、知らない人たちにも近づいて天の母を伝え始め、一人の青年兄弟はアメリカのところどころにいる親戚たちを尋ねて真理を伝える宣教旅行に行くなど、福音のためにすべての家族たちが一つの心、一つの志になりました。その上新しい家族たちまで真理を悟ったので自分も御言葉を伝えようと共に祝福を積み上げています。
長い時間、人の努力ではできなかったことを、天の母は一瞬で成してくださいました。見た目や文化、考えが互いに違う私たちを天の家族として完全に連合を成すようにしてくださった天の母は、私たちに最高の答えでした。家族たちは天の母を伝えて天の母の教訓を実践し、天の家族の深い愛を分け合っています。
天の母に対する慕わしさで
愛と情熱溢れるシオンで日ごとに天の母の懐に帰ってくる兄弟姉妹を見ていると感慨が本当に新しく感じられます。あまりにも微弱で涙で御父様、天の母にだけ頼っていた時が昨日のようでした。胸がきりきりしたようなあの時のことを、今はただ感謝するばかりです。力不足で大変だったからもっと神様だけに頼ることができたし、その結果多くの祝福を賜ることができたからです。
それで私の心に「ただ神様だけに頼ろう」という信念がはっきりと刻まれています。私だけではありません。家族たちもやはり一日一日結ぶ実が神様が下さった福音のプレゼントであることを知っているので日々天の母だけに頼っています。私たちの足がふれるところごとに天の家族が待っているので神様が導いてくださらなかったらどうやってできるでしょうか。
家族たちは今、エルサレムに向かって飛んでくる預言の主人公になりたくて「私も行こう、私も行こう」と韓国訪問を希望しています。天の母から聖霊の祝福を直接求めようと韓国語を学んだり、ハングルを学んで直接手紙を書いたりします。
このような家族たちの姿は天の母に向かう懐かしさから始まっています。御父様、天の母に対する話が出ると結局涙を流してしまう家族たち。韓国で天の母にお会いする機会がたびたびあった私もこのように天の母が懐かしいのに、家族たちの懐かしさはどれだけ大きいでしょうか。その懐かしさは家族たちにおいて、いろいろな大変なことを勝ち抜く力であり、天の家族を捜すことができる勇気になります。まるで天の母に向かった懐かしさ一つで生きているようです。
しかし、私たちが天の母を懐かしがる以上に、いや想像もできないほど天の母は、私たちとまだ捜すことができない子どもたちをしのんでいらっしゃることをよくしっています。それで天の母の愛を先に受けた長子として、サンフランシスコだけではなくカリフォルニア州、アメリカ全域に進んで失った兄弟姉妹を捜すことに力を傾けたいです。たとえ始めは微弱だといえども、神様が壮大なる歴史を成してくださることを信じて人類の海を浄化する3パーセントの塩のような天の子を尋ねる使命をはたします。
サンフランシスコ教会は、御父様、天の母の愛を悟って今福音の足を踏み出しました。はいはいし始めた赤ん坊に両親の手助けが切実なように、御父様、天の母にもっと頼って広い広い北米大陸福音に拍車をかけることでしょう。天国に進む生命の橋を手まめに掛けて、多くの魂の胸に永遠の宝を植えます。「天の母」という愛の名前でです。なつかしき天の母、愛しています。