台風‘せみ’が家の建物ほどの津波が内陸1.5キロメ-トルまで押し寄せて18人の人命被害が発生し町街の相当部分が浸水された馬山市。大型建物の地下の空間はそれぞれ十余万トンの海水で一杯になった海岸商街の様は言に尽くせない様だった。ガラスと看板が破壊され、完成されない仮りの建物のような商店がずっと並んである通りの風景は寂い程だった。人道には建物から片付けて出した汚が塩辛い悪臭を漂わしていて、一方では家電製品業体の緊急支援の修理を待つ家電製品がずらっと並んでいた。
ⓒ 2003 WATV
時たま防疫自転車が狭い路地を走り回って白い煙を吹き出した。海岸地域の車道を走り回る車の半分は復旧を支援する重装備とトラックであった。不意に家族と隣りを失して思いもよらぬ財産の被害を被った隣りを助けるために馬山と隣りの地域の神様の教会の聖なる者たちは馬山でも特に被害の甚だしい地域に駆け付けて行った。
地下層まで支えた水を汲み上げるのは主に機械装備が動員されるけれど、津波と共に地下に押し寄せた山盛りみたいな廃棄物を片付けるのは人の分け前である。しかし商街と隣近の自宅が皆被害を被ったせいか商人たちは商店を整理する十分な時間の余裕も、心の余裕もない様であった。
馬山地域で事務を取っている神様の教会の洪英福牧師は馬山、蒼遠、鎮海地域の500人ほどの聖なる者たちと一緒に17日と18日、ボランティアに出掛けた。“台風が過ぎ去った後まず被害地域を見回したが想像を超越する程おびただしい災難にて失意に陥っている方が多かった。何とかして神様の愛にて地域民の痛い心をなぐさめたかった”と言う洪牧師は“奉仕は神様の教えを受けた弟子としての当たり前なこと”であると強調した。
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初めには片付なければならないものが余りにも多くて始める意慾が出ないほどだったが聖なる者たちはすぐ様腕をまくり上げて出掛けた。平日だから夫を出勤させてボランティアに出掛けた婦女聖なる者まで難事を自ら願い出でると商人たちは“力強い壮丁たちがすべきことだ”と言いながら止めた。しかし数人が協同して津波に流されて来た丸太、たんすまで軽く持ち上げて移すと憂慮の目つきはいつのまにか驚歎の目つきに変わって“軍人たちがすべき業を成し遂げるボランティアたちである”と商街にうわさが立った。
津波に流されて来た商街の物品とごみを建物の地下6層から地上まで21人の聖なる者たちが一緒にリレイ式に運んだ婦女聖なる者は“隣りを助けるという一心にてその一人もいい加減にする人は一人もなく重荷も容易に持ち上げる程だ”と言いながらボランティアたちの力の源が‘愛’であることを悟し賜わった。
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所属大学に告げた後暇を作って駆けて来た大学生聖なる者もボランティアに加勢して力ずくの仕事を自ら支援した。一方通りに設置した天幕では聖なる者が水災民と他のボランティア者に煮た卵とカップめん等の間食と飲み物、元気を回復するドリンクと営養剤を提供しながら激励した。
商店を掃除して海水に荒された商品等をきれいに拭いて整理すると店主は何とかして感謝の心を表わそうとした。つやが出る程拭いてまた拭いて整頓した器を見て“感謝の言葉を繰り返えした”と言いながら神様の教会なら無条件器を安く差し上げると言った器店の主人おばさんは“ここにある運動靴一足ずつ必ず行って下さい”と請う履物店の主人の好意を鄭重に遠慮して心だけ頂いた。
海運洞の東方グレンド商街繁栄会慎鏞在(45)会長は“ボランティアは皆ありがたい方ですが特に神様の教会ボランティアの誠意があった。本当の嫌な事をよくして下さった”と神様の教会側に感謝を表した。商街100余世代が住んでいる建物には一時海水が地下3個層は勿論のこと地上も腰まで水が支えたと言った。しかしこれ程の被害は隣の海運プラザ-建物の地下2層での8人の溺死に比べれば何でもないと言った。
聖なる者たちが地下の水に浸った汚れを取り除いたり洗う様を見て慎会長は“難事に協力して加勢すると言うことが如何に重要なのかを悟った”と言った。ボランティアが終って聖なる者たちはボランティアを通じて“隣人を自分のことのように愛しなさい”という神様の御言葉をつくづく肝に銘じたと言いながら、風水害にあった隣りに“勇気を失わずに力を出しなさい”とくれぐれも頼んだ。
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